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千樹寺からしばらく行くと、ほどなく「又十屋敷」の看板が見えます。

建物には「豊会館」の看板が。ここは近江商人 藤野喜兵衛の旧宅です。

歩き始めたばかりだけれど、やはりここは入っておかねば。

玄関で入館料を払うと、美味しいお茶の接待まで・・
そして館長さんに藤野家や江州音頭の丁寧な説明をいただきました。

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江戸後期、ここ枝村の若き商人、藤野喜兵衛は北海道に渡りました。そして「柏屋」の屋号と「又十」の商標で廻船業者として活躍したのです。松前藩からは絶大な信用を得て、漁場を任され、鮭・鱒を捕獲して大阪方面に売る。そして近江からは近江米を積み北へ・・いわゆる鋸商法で藤野家繁栄の基礎を築きました。そして近江商人の「三方よし」の理念の通り、藤野家は地元にも貢献しました。天保飢饉の際には庶民救済の策として「飢饉普請」を行ったのです。説明を聞く座敷からは、その折に造られた「松前の庭」を見ることができます。

藤野家4代目の辰次郎は、明治時代、北海道根室で払い下げを受けた工場でサケ缶製造を始めます。缶には開拓使の旗印である北辰の星印が許され、そのブランド力から成功をおさめます。4代目没後、缶詰は日魯漁業へ譲渡され、マークも星印からあけぼの印にかわっていくのです。

藤野家旧宅は昭和初期からは役所として使用されます。そのため現在の名称「豊会館」がつけられました。役所として使用されなくなってからは荒廃。それを地元の企業家の協力で「豊会館」として再生。企業家夏原氏の膨大な美術品等も収蔵展示されています。

説明していただいた館長さん、江州音頭の由来となると、自ら江州音頭の一節を披露。説明とともに名調子に引き込まれ、すっかり長居してしまいました。



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又十屋敷をでてさらに北へ。

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そろそろ、アニメ好きにはたまらない豊郷らしさが・・・

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ほどなく伊藤忠兵衛記念館の板塀が見えてきます。もちろん、門をくぐらせていただきます。そして、せっかくなので、ここでも記念館のお話を聞かせていただきました。

ここは伊藤忠、丸紅の創始者伊藤忠兵衛の旧宅です。繊維品の小売業「紅長」家に生まれた忠兵衛は、近江麻布をもって商いをはじめ大阪で繊維問屋「紅忠」を開設、事業を広げていくとともに、地元豊郷でも村長を務めるなど地域にも貢献。2代目忠兵衛はイギリスに留学、国際化にむけ奔走し、現在の総合商社としての基礎を築くのです。
ところで今年度大学生の就職人気ランキング男子文系2位、男子理系 4位の伊藤忠商事ですが、丸紅もふくめ、新任研修はこの伊藤忠兵衛屋敷で行うそうです。「三方よし」の近江商人の原点を学んでいくといいます。

さて、次は旧豊郷小学校を目指します。