2015年05月

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伊藤忠兵衛旧宅からは、思い思いの速度で中山道を歩き、豊郷小学校で合流。

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(明治6)年、四十九院村など7ケ村で三つの小学校が設立され、1989年に統合されて尋常科至熟小学校になります。初代校舎が老朽化すると、卒業生であり丸紅の専務であった古川鉄次郎が故郷への恩返しとして私財の寄付を申し出、昭和12年にウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による校舎と講堂が完成します。当時は「白亜の殿堂」「東洋一の小学校」と称されたといいます。
 伊藤忠兵衛を叔父に持つ古川鉄次郎の思想は、校舎の階段手すりに置かれたウサギとカメの像に象徴されています。誰も見ていないところでも努力し、ゆっくりでも前に進むという鉄次郎の考えを多くの子供たちがみてきたことでしょう。
 平成11年に校舎改築の計画が出されると、校舎保存の運動が話題となったことは記憶に新しいところ。現在は耐震補強工事が行われ、子育て支援やシルバー人材センターなどとして使用されています。なによりここ5年ほどは、アニメ「けいおん!」の舞台になったことで注目を集め、聖地として全国からファンが集まってきています。

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ファンが寄贈したアニメ関連のグッズ。

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昼食は小学校の旧図書館、酬徳記念館の、けいおん!カフェにて。コスプレの若者に交じって昼食をとる、いつもの中山道ウォ-クにない光景です。

 


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すっかりのんびりして、予定時間をすっかりオーバー。そのアバウトさもまた「いがぐりの会」らしさ?小学校の門をでると、次は高宮を目指します。

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ケヤキ並木があらわれると、そこは彦根市です。

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千樹寺からしばらく行くと、ほどなく「又十屋敷」の看板が見えます。

建物には「豊会館」の看板が。ここは近江商人 藤野喜兵衛の旧宅です。

歩き始めたばかりだけれど、やはりここは入っておかねば。

玄関で入館料を払うと、美味しいお茶の接待まで・・
そして館長さんに藤野家や江州音頭の丁寧な説明をいただきました。

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江戸後期、ここ枝村の若き商人、藤野喜兵衛は北海道に渡りました。そして「柏屋」の屋号と「又十」の商標で廻船業者として活躍したのです。松前藩からは絶大な信用を得て、漁場を任され、鮭・鱒を捕獲して大阪方面に売る。そして近江からは近江米を積み北へ・・いわゆる鋸商法で藤野家繁栄の基礎を築きました。そして近江商人の「三方よし」の理念の通り、藤野家は地元にも貢献しました。天保飢饉の際には庶民救済の策として「飢饉普請」を行ったのです。説明を聞く座敷からは、その折に造られた「松前の庭」を見ることができます。

藤野家4代目の辰次郎は、明治時代、北海道根室で払い下げを受けた工場でサケ缶製造を始めます。缶には開拓使の旗印である北辰の星印が許され、そのブランド力から成功をおさめます。4代目没後、缶詰は日魯漁業へ譲渡され、マークも星印からあけぼの印にかわっていくのです。

藤野家旧宅は昭和初期からは役所として使用されます。そのため現在の名称「豊会館」がつけられました。役所として使用されなくなってからは荒廃。それを地元の企業家の協力で「豊会館」として再生。企業家夏原氏の膨大な美術品等も収蔵展示されています。

説明していただいた館長さん、江州音頭の由来となると、自ら江州音頭の一節を披露。説明とともに名調子に引き込まれ、すっかり長居してしまいました。



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又十屋敷をでてさらに北へ。

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そろそろ、アニメ好きにはたまらない豊郷らしさが・・・

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ほどなく伊藤忠兵衛記念館の板塀が見えてきます。もちろん、門をくぐらせていただきます。そして、せっかくなので、ここでも記念館のお話を聞かせていただきました。

ここは伊藤忠、丸紅の創始者伊藤忠兵衛の旧宅です。繊維品の小売業「紅長」家に生まれた忠兵衛は、近江麻布をもって商いをはじめ大阪で繊維問屋「紅忠」を開設、事業を広げていくとともに、地元豊郷でも村長を務めるなど地域にも貢献。2代目忠兵衛はイギリスに留学、国際化にむけ奔走し、現在の総合商社としての基礎を築くのです。
ところで今年度大学生の就職人気ランキング男子文系2位、男子理系 4位の伊藤忠商事ですが、丸紅もふくめ、新任研修はこの伊藤忠兵衛屋敷で行うそうです。「三方よし」の近江商人の原点を学んでいくといいます。

さて、次は旧豊郷小学校を目指します。 


五月晴れの日曜日、久しぶりの中山道ウォークです。

能登川駅からバスで、近江鉄道愛知川駅へ。


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人気のない駅前で、本日の日程を聞きます。


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中山道にはいります。

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愛知川宿を進んでいきます。

河脇神社、井上神社、石部神社などを通りすぎ、街並みをながめつつ歩いていきます。式内社の石部神社は、この日、お祭りだったようです。

 

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街並みが途切れると、宇曽川に出合います。

一級河川の宇曽川は、水量が豊富で、舟運が盛んだったといいます。井伊家の年貢米や、丸太などが運ばれていて、「運送川」が「うそがわ」になったとか。

宇曽川にかかっているのは、歌詰橋。その由来は・・・

天慶三年、藤原秀郷が平将門を切り、京に上る途中この橋にさしかかりました。そこになんと目を見ひらいた平将門の首が飛んできたとのこと。秀郷は将門の首に、歌を一首といい、将門の首は歌に詰まってこの橋に落ちた・・そこで「歌詰橋」というようになった、との伝説です。

この恐ろしげな伝説の橋から北は、豊郷町です。

 

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歌詰橋を渡り、しばらく行くと左手に千樹寺がみえます。ここは「江州音頭発祥の地」と大きく掲げらています。行基が開いた近江四十九院の一つといわれ、織田信長によって焼かれたものの、天正十四年に再建。この時の落慶法要で経文に節をつけ唱え、踊ったことが江州音頭の始まりということです。

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しばし休憩し、中山道を歩き出します。つづく。

先に例会案内でお知らせしました、「中山道を歩く」⑦の詳細です。
コースは、愛知川宿~高宮宿の8kmです。

ルートは・・
手原8:43→8:48草津8:52→(新快速)→9:12能登川9:23→(近江バス)→愛知川駅
見どころは・・
江州音頭発祥の地、旧豊郷小学校、伊藤忠兵衛屋敷、高宮宿本陣、高宮寺、高宮神社(芭蕉句碑あり)など。
木曽路名所圖會には、行基創建の四十九院唯念寺、高宮川(犬上川)、多賀大社一の鳥居などが記載されていましたね。
個人的には古代の豪族居宅長畑遺跡(中山道ぞい)を訪れたい。街道沿いならではの史跡、たのしみです。
弁当持参ですのでお忘れなく!!

現在、栗東歴史民俗博物館で開催されている「中沢の歴史と文化」展に関連して・・中沢の菌神社を再訪。大祭で供えられるジャコの馴れずしを見に行きました。

菌神社は、社伝によれば古くは草平社といい、舒明天皇9年(637)に勧請されたとされています。社殿は、神社に伝えられる棟札の銘文から、正中2年(1325)に新造されたことがわかっています。その珍しい名前から、キノコの愛好家からも注目を集めています。
春の大祭では、湯立て神事の後、供えられたジャコ寿司がふるまわれます。

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神事の湯釜。

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直会の準備がすすめられています。

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湖国の郷土色が盛り付けられています。

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これがジャコ寿司です。以前は中沢の池で取れたフナなどが漬けられていたそうですが、現在はワカサギを漬けているようです。冬に塩漬けしたジャコを洗って、焼酎につけ、二升の飯に漬けこまれます。多量の砂糖も投入され、仕上がりもほんのり甘みがあります。漬ける期間も短いので、魚の形をしっかりとどめています。

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「おさがりやしおさどうぞ」と、ちまきもいただきました。
その珍しい神社名と神饌から研究者も訪れるなど注目されるこの祭。儀礼食を伝える方々のやさしさを感じました。

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