不破の関が近づくと、壬申の乱の足跡がみえてきます。ただし、関ができたのは壬申の乱より後のこと。壬申の乱を記載した『日本書紀』には「不破道」と記されます。大海人皇子は、大和を脱出する前に、舎人の村国男依らに命じ不破道を閉鎖させたのです。


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黒血川。この恐ろしい名前の川は、壬申の乱が口火を切ったの玉倉部邑での戦いの折に、戦った人たちの血で染まったことが由来となっていると伝えられています。


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坂道を下って、不破の関方面に進みます。


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藤古川。不破の道を通り近江に向かうには、のちに関ができた地点からこの藤古川を渡らなくてはなりません。


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不破の関資料館に到着です。不破の関は律令期の官道整備にともなって整備されたもので、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに「三関」といわれます。資料館や伝関守跡などは不破の関を囲む土塁と、藤古側に囲まれた地点にあります。関の庁舎あとは資料館の東側一帯にあったと考えられていて、軒丸瓦などが出土しています。この土塁の下部に、和同開珎が納められた土師器甕が埋められていて、不破の関が整備された時代を考えるヒントとなっているのです。



不破の関を出ると、今度は関ヶ原の戦いの舞台へ。
時代を行ったり来たりです。
最終回へ続く。