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大変遅くなりましたが、京都の社寺をめぐる見学会の記録です。まずは1回目。

いがぐりの会で現在とりくんでいるのが「都名所圖會」の輪読。ここに取り上げられている京の社寺をめぐる見学会その1回目、東山界隈です。

923日。4名が参加しました。

地下鉄東山駅でおり白川の橋をこえると、坂本竜馬とお龍が祝言をしたとする石碑が建立されています。坂本竜馬とお龍は元治元年(18648月にこの付近にあった青蓮院塔頭の金蔵寺で内祝言をあげたとされます。禁門の変(同年7月)のころ。京都はとても暑かったことでしょう。


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蹴上から東山三条までの一帯は、山城国粟田郷をぬけるため「粟田口」といわれは、山科から京都の東側へ入る、交通の要衝でした。東山駅を東に、三条通を南にはいると粟田神社があります。粟田口に鎮座するこの神社は、古くは牛頭天王をまつり、粟田天王社、粟田八大王子社とよばれ、疫よけ病よけの神として東海道・東山道を行きかう旅人は旅の安全を願いました。明治からは粟田神社と呼ばれるようになります。祭神は素戔嗚尊、大己貴命。三間社流造の本殿および、本殿の前に接続する幣殿は文政
6年に再建。拝殿は元禄16年に創建を伝えるもので、いずれも京都市の指定文化財です。10月に行われる粟田祭は千年の歴史があります。近年世渡り神事の粟田大燈呂が大学生により復元されています。

今日の小旅行の安全を祈願。

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さらに一行は粟田神社の西に位置する青蓮院門跡へ。平安時代末に造営され、明治に至るまで皇族や五摂関家の子弟が門主を務めた天台宗の古刹です。天明の大火には仮の御所となり、「粟田御所」とも呼ばれます。

天然記念物の楠を見ながら門をくぐります。

植髪堂。青蓮院第3代門主慈圓により得度した親鸞聖人の髪を祀ります。

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青蓮院の国宝青不動は日本三大不動のひとつ(ほかは三井寺黄不動、高野山赤不動)で、もと朝廷において皇族に信仰されていたもの。不動明王は密教で宇宙の中心的存在である大日如来の化身であり、国家や皇室の安寧を祈願されてきました。平安時代末には宮中と関連の深い青蓮院に下賜されました。煩悩を焼き尽くし諸願成就させる霊験あらたかな不動明王として、現在も信仰をあつめる秘仏です。平成26年には青不動をおまつりする清龍殿が東山将軍塚の青蓮院飛び地境内に完成しています。この清龍殿、もとは北野天満宮の近くにあった大日本武徳会京都支部の建物で、戦後は平安道場といわれ京都府警武道場としてつかわれていましたが、近年老朽化で閉鎖されていたものです。
今回は立ち寄らず、隣接する浄土宗の総本山知恩院へ。

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この日は、たまたまお彼岸のお中日。お墓参りなどの人が多く、私たちも本堂での法要に一部参加しました。境内では国宝御影堂が江戸時代の再建以来の修復工事中で覆屋に囲まれていました。平成
30年度末までの大修理とのこと、完成後にまた訪れることにしましょう。大鐘は寛永13年の鋳造。鐘楼は延宝6年に建立された重要文化財です。17人突かれる除夜の鐘は年末の風物詩です。

東山界隈あるき、第1回目はこのへんで・・。

(2回目の報告はいつになるかわかりません(^^;)