栗東歴史民俗博物館市民学芸員の会のブログ

今年も最終の月となりました。

年内の博物館教室も本日で最終となりました。
発掘調査成果展は今週で終わります。

12月例会は以下の通りです。

1都名所圖會輪読会  1210日 9:30

   ※予告していた、1210日(水)京都見学会は春に延期となります。

2文化ボランティア・竹村家鉄道資料整理 

   1213日(土)13:30~
   12月20日(土)13:30
3むかしのくらし体験教室

116日 午前・午後 

120日 9:30 うす

121日 9:30  竿 

122日 9:30 および 午後 

123日 午前 
  1月27日 9:30 および 13:30つし
  1月29日 9:30 つし
  2月3日 9:30 および 13:30
  2月10日 午後

4埋蔵文化財発掘調査成果展
    127
5RISSミュージアムロビーコンサート
  12月21日14:00~クリスマスコンサート  
   

◆いずれの行事も参加できる方は栗東歴史民俗博物館まで◆

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不破の関をでて、しばらく行くと国道に出会います。そのまま関ヶ原の駅方面に歩いて行きます。ひだり手に見えてくるのが西首塚です。関ヶ原合戦戦死者数千の首級を葬った塚とされています。さらに進んで行くといよいよ関ヶ原の戦い決戦の地です。  

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東首塚。大きな銀杏の木が見えます。家康は敵味方の兵士を東首塚、西首塚とに葬らせました。


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徳川家康最後の陣地という陣場野に関ヶ原町歴史民俗資料館があります。合戦の様子が屏風や甲冑などの資料や、映像で解説されています。

今回の中山道ウォークはここで解散。

元気な三人は古戦場めぐりへ出発。


そのほか6名は関ヶ原駅から帰路につきました。




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おまけ。
街道で発見したもの。
≪ご当地マンホール≫

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不破の関が近づくと、壬申の乱の足跡がみえてきます。ただし、関ができたのは壬申の乱より後のこと。壬申の乱を記載した『日本書紀』には「不破道」と記されます。大海人皇子は、大和を脱出する前に、舎人の村国男依らに命じ不破道を閉鎖させたのです。


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黒血川。この恐ろしい名前の川は、壬申の乱が口火を切ったの玉倉部邑での戦いの折に、戦った人たちの血で染まったことが由来となっていると伝えられています。


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坂道を下って、不破の関方面に進みます。


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藤古川。不破の道を通り近江に向かうには、のちに関ができた地点からこの藤古川を渡らなくてはなりません。


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不破の関資料館に到着です。不破の関は律令期の官道整備にともなって整備されたもので、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに「三関」といわれます。資料館や伝関守跡などは不破の関を囲む土塁と、藤古側に囲まれた地点にあります。関の庁舎あとは資料館の東側一帯にあったと考えられていて、軒丸瓦などが出土しています。この土塁の下部に、和同開珎が納められた土師器甕が埋められていて、不破の関が整備された時代を考えるヒントとなっているのです。



不破の関を出ると、今度は関ヶ原の戦いの舞台へ。
時代を行ったり来たりです。
最終回へ続く。 

 

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